ご挨拶にかえて

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李朝を傍らに
鄭玲姫

 三十数年前、ある骨董雑誌に、李朝を傍らにお茶を飲める喫茶店があるという小さな記事が載っていました。名前も地図もなく、神田神保町の裏通りにあるとだけの情報を頼りに、東京へ出向いた折に一時間以上も彷徨い探し当てたのが「茶房李白」でした。日本家屋の玄関に手縫いの白い暖簾がかかり、入り口には山野草が彩られていました。一歩足を踏み入れた時の感動は今でも記憶しています。
 全体的には大好きな民芸調で(私の若い頃は民芸ブームで、嫁入り道具の中に一つは取り入れるのが憧れでした)、仄暗い店内は落ち着きがあり、棚や立派な箪笥には李朝のやきもの、絵画が飾られ、壁面は韓紙で象った山や雲が貼られて独特の雰囲気を醸し出していました。常連客たちが心地よさそうに煙草をふかしている姿が印象的でした。今まで見たことのない空間に出会い、私は心震える思いに包まれました。
 暫くして店のご主人が話しかけてこられました。京都から来た在日韓国人を名乗る私に、ご主人が穏やかな中にも強く響く口調で、「こんな美しい李朝を作った国の子孫として生まれられた貴女が羨ましい」、「私の夢は韓国の草家の土壁の中で死ぬことです」と仰いました。韓国人でもない方にこの様なことを言わせる「李朝」とは、何という力を持っているのだろうと驚きました。
 父や私が自国の文化遺産として李朝を尊ぶのは民族心、望郷の念から来るのは当然ですが、その時のご主人の言葉は、日本人が好んで収集するのとは明らかに違う、心の叫びのように私には聞こえました。ご主人は価値として観るのではなく、それを作った人々の精神、その背景にある当時の社会、思想、宗教等の全てがそこに現れて、日本や中国でもない朝鮮の力というものがあるのだと仰っていました。
 その日から私の「李白詣で」が、東京行きには必ず組み込まれました。そしてある時、部屋の壁に掛かっていた一枚の写真に目が留まり、「これは?」とご主人に問うたのです。「これは私の心の原風景です」と返答されました。それは韓国の鬱蒼とした山の中の、一軒の小さな草家の白黒写真でした。その時、私は何故か涙が溢れ、それを見破られまいと隣の部屋に移ったのでした。一葉の写真にも、ご主人の韓国への想いが籠っていることが私には感動的でした。
 程なくして、京都にもあの様なお店を作りたいと強く思い始めました。ご主人にその意志を伝えるとすぐに賛成してくださいました。私も多少の収集はあったので、店内の設えに問題はなかったのですが、普通のメニューでは面白くない、幼い頃から馴染んできた家庭料理のピビンパを京野菜で作ろうと考えました。野菜を沢山摂れ、健康的で誰でも喜んでもらえる総合栄養食としてこれ以上のものはないと確信しました。そして韓国伝統茶やお菓子等、他にはないメニューが出来上がりました(1998年11月に開店)。ご主人にも何度か来て頂き、いたく喜んでくださいました。
 ご主人がご高齢でお店を閉められる時には、後継者として多くの李朝を譲って頂き、「李白」で輝いていた遺品が美しく店内を彩っています。今は亡きご主人が命を懸けて愛された李朝、一時代を築き、次の担い手として、また託された者としての役割は果たしていこうと思います。
 私の好きな日本民芸館を訪れる度、柳宗悦や浅川兄弟、そして民芸運動に関わられた多くの先人の教えには頭が下がる思いでいっぱいです。素晴らしい人々の功績に敬意を払い、私の次に新たな伝い手を得ること、それを目標として、力の続く限り「李白」ご主人との交流を糧に未だ暫くは頑張ろうと思っています。

(「李朝喫茶 李青」主人)

※本文は『民藝』No.837(2022年9月、日本民藝協会)に所載